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●Halloween Sweet
五霊殿、蒼穹の執務室にて外界のお祭り「ハロウィン」ごっこ。
あっぷあっぷな冴皓と、蒼穹&魂積の「いつも通りなひと時」。ある意味セクハラ。
甘系ラブ話(ラブバ)は、ここらが私の限界です。あっぷあっぷ。

 書架に伸ばした手に重ねられる大きな掌。
 背中にぴったりと張り付く気配に、蒼穹第五霊獣・冴皓【ゴコウ】はびくりと肩を竦めた。
 首筋に触れる吐息を感じて長い耳を目一杯伏せ、俯く顔が紅い。

「あの……?」

 手は――そっと添えられているだけなのに、振り解いて逃げる事など出来そうもない。
 元々頭より高い位置にある本を取ろうと、背伸びした無理な体勢であった事に加えて、動揺と微かな恐怖に縛られている。全身が心臓と化したかの様な錯覚と熱を自覚して、冴皓はままよと目を閉じた。
 自分の後ろに立っているのが誰であるかは、その身に触れる霊気の流れで知れると言うもの。

「冴皓」

 名を呼ばれるまでもなく。
 冴皓が密かに焦がれてやまないその人……我らが主たる精霊の長である、と――

「そ、蒼穹様……、あの……そのあの――」
「お前はさっきからそればかりだな。まぁ、構わんが」

 楽しげに微笑む吐息が赤茶の髪を撫でる。
 ますます小さくなって全身を強張らせる冴皓の腰に、もう一方の手が回された。

「!」

 ――ひゃあ、ななな、なななななっ!!
 頭の中はいよいよ真っ白。絶望的なまでに騒ぎ立てる心とは裏腹に、体は身じろぎ一つ出来やしない。

「これから、二人きりの時は『私の冴皓』と呼んでも良いか?」

 くつくつと笑いながら、主が続けた言葉に。
 一瞬意識を手放しかけた冴皓だったが、よくある主の冗談だと思えば急に心が凪いで。
 言葉は自然、口を衝いて出た。
 僅かに残る動揺と、恐怖の代わりに顔を覗かせた期待が声を震わせてはいたが。

「じ、冗談はやめて下さい……仕事の途中です、から」

 背後の気配はそれさえ面白がって「ふむ」と首を傾げ、彼女が取ろうとしていた本を取ってやる。

「あ、すみません」

 本を受け取る瞬間の気の緩み。視線の動き。はためく主の白い翼が冴皓の視界を塞ぐ。
 背後から抱きすくめられる感触、床からふと足が離れる浮遊感、惑う視界に取り落とした本が遠ざかり――冴皓は、一瞬何が起きたか解らなかった。真剣な声で耳元に囁かれた様な気がする。

 ――……。

「――なぁんちゃってぇー」
「…………」

 冴皓を後ろから抱き締めている腕は、次の瞬間、明らかに頼りなく変質していた。
 その声も、気配も。――覚えのある別の人物のものへと。

「驚いた? ねぇ、驚いた?」
「そりゃあ――」

 一体何故『彼』はそんな芸当が出来るのだろう、といつも不思議でならない。
 間延びした声に脱力感を覚えつつ、冴皓は全身で溜息を吐く。深く長く。
 いっそこのまま気絶してしまいたいと思う。
 が。その身体が崩れ落ちてしまわない様にだろうか、背後の気配は冴皓を抱き締めたままでいた。

「こんな所で何してるんですか、魂積【モトヅミ】さん……」
「だってぇ、ヒマなんだものー」

 ああ、それもいつもの事なのだと。冴皓は再び眩暈を覚える遠い意識の中で思う。
 魂積は「払霧【フツギリ】殿に追い出されちゃって」と悪びれずに笑っているが、何をやらかして来たかは想像がついた。あえて聞く気も、そんな余力もないが。

「………」
「………」
「……あの」
「……ん?」

 暫し沈黙が続いた後で、思い切って口を開いた冴皓に魂積は今更の様に気付いて、両腕を解いた。
 解放され胸元に手を添えてまた一つ息を吐く彼女を、魂積はきょとんと見つめていたが――やがて、くすり、と笑みを零す。

「ごめんね。怖かったね」
「いえ……そういう事では……」

 ないんですけど。
 ――歯切れが悪い。
 俯いて肩を震わせる冴皓の髪を撫でる掌、魂積の手はそのまま彼女の背中に滑り、軽く抱き締める様に二三度叩いて、行過ぎる。身体ごと。
 意外にその手は大きくて、胸が広いのだと――そんな事を思っている間に彼の羽衣が視界に翻る。顔を上げると、既に扉を開けて、廊下からこちらに顔だけ出した魂積が手を振っていた。

「僕ねー。君のこと好きー。イイ匂いがするからー♪」
「………」
「それじゃ、良い夜を。良かったらお菓子食べてねー」

 ……お菓子?
 一人、部屋に取り残された冴皓は首を巡らせた。――と、書卓に腰掛けた蒼穹が、何やらもぐもぐ頬張りながらこちらを見ている瞳に出くわして、焦る。

「そ、蒼穹様、い、いつからそこに!?」
「んー。いやあ……『私の冴皓』の辺りからかな」
「そ、それ、一番恥ずかしい所――核心じゃないですかっ」

 指の先に付いたクッキーかすをぺろりと舐めて、蒼穹が「そうなのか?」と首を捻る。
 幸い、というか何というか、蒼穹は深く追求して来なかった。再び熱を持った頬を冷ます様に両手で包んだ冴皓。落としたままになっていた本を拾おうと床に目を落とし、そこに何もない事に気付いてまた焦る。
 「あれー?」としきりに首を傾げ、身を捻り、書架を見上げる彼女のそんな慌て様を見て、蒼穹は吹き出した。
 気恥ずかしさを誤魔化すべく抗議しようと振り返る冴皓の前に、示される物。
 ――探していた本と、その上に焼き菓子の包みが幾つか。

「……。魂積さんが、置いて行ったのですか……?」
「ん。菓子はそうだが、この本は私が……」
「い、い、言わなくてイイですっ。スミマセン、ごめんなさい!! 私ったらドジで……!」
「いや、そこまで卑屈にならんでもだな」

 まさか、自分の足元の本を拾おうとした主にも気づかないほど、切羽詰まっていたなどと。
 そんな事実に気付きたくはないものである。もっとも、空の属性を司る蒼穹ならば、風を操り、それを手元に手繰り寄せる事など造作もないのだろうが――彼はそれをあえて説明しなかった。
 何故なら、その方が面白いからだ。

「『私の冴皓』か、それは良いな。私もこれからそう呼ぶ事にしようか?」
「っ……!」

 二番煎じに動じてなるかと意識を保った冴皓、喉奥で笑う主に、反撃を試みる。

「そんなに寛いでいて良いんですか、蒼穹様? まだ終わってない書類がこちらに山ほどあります」
「うむ」

 当たり前の様に軽く頷いて蒼穹は、動じる事なくにこやかに、一つ指など立てて来た。
 今日が何の日か、知っているか冴皓。外界の伝なのだがな――
 静かに言葉を紡ぐ主の唇。慌てて目を逸らし、「いいえ」と答えて心をガード。
 付入る隙を見せてはならない。つけ込まれれば、ついつい許してしまうから。

「Trick or Treat。お菓子をくれなきゃイタズラするぞ、と町中が仮装とカボチャランプに染まる祭だ」

 はろうぃ〜ん、と言うのだ。
 説明を聞いてもまるで理解出来なかったが、かろうじて、「お菓子をあげればイタズラされずに済む」と言う事だけは何となく、解った様な気がした。ただし、それは冴皓の胸に新たな疑問と混乱を呼んだが。

「……どうして私、魂積さんにイタズラ(?)された上に、お菓子を貰ってるんでしょうか」
「それはまあ、つまりアレだな。お前に仕返しされたくないとか」

 蒼穹は終始楽しげだ。意味深に笑っている。
 冴皓には、やはりよく解らなかった。
 これ以上は聞いても謎が深まるだけだと、彼女はその『はろうぃ〜ん』と言う、外界の不思議なお祭の事を努めて意識の外に追いやり、逸れかけていた本題へと向きを正す事にした。
 そもそも自分がこの部屋にいる理由というのは。
 主も自覚があるのか、冴皓が何か言おうと息を吸い込んだだけでお手上げのポーズ。そして言う。

「まあ聞け。そんな夜だから、私も悪戯心に駆られたりもするのだ。例えば、未処理の書類で紙飛行機を折って、窓から投げればさぞ楽しかろうな」

 あまりに子供じみた危険な発言にぎょっとして、冴皓は辺りを見回した。
 二人きりでいる書斎。誰が聞いている訳でもないが、もしも誰かに聞かれたら大変な事になる。
 天上にある精霊の聖域・五霊殿からそんな事をすれば冗談では済まされない。それを――
 蒼穹も解っているのか、じっと穏やかな目で冴皓を見つめている。喉まで出かかっていた言葉達を、冴皓はぐっと飲み下した。口に出すのは、ただ一言。

「……夜尾【ヤオ】さんに叱られますよ?」
「うむ」

 と、また素直に頷く姿は、ますます子供っぽく見える。
 状況さえ選ばなければ、彼女が常々微笑ましく思っている表情の一つだ。

「私も夜尾に叱られたくはない。出来れば悪戯をしたくないのだ。だから……」

 言い訳がましく蒼穹が何かを求める眼差しを向けてくる。意味もなく高鳴る胸を押さえて冴皓は次の言葉を待つ――

「そろそろお茶にしよう。冴皓。飛びきり甘い菓子と一緒にな」
「……はい」

 結局、許してしまう主のわがまま。
 休憩の合間に仕事をするといういつものパターンで主の一日が過ぎて行くことは、第八霊獣・夜尾の悩みの種だと聞いている。自分が補佐につきながら、何一つ変えられない状況を申し訳なく思うものの。
 今日も、明日も、それだけはきっと変わらずに。

 ――こういった不謹慎な軽口を叩けるのは、魂積と無想【ムソウ】の他にはお前くらいのものだな。

 そんな言葉を聞かされて、本来諌めるべき事と解ってはいるのに何故か嬉しくなってしまう。
 主の正式なパートナーたる第一霊獣・魂積。そして、種族を超越した存在である第六霊獣・無想。
 この二人と名前を並べて貰える事が、何より……甘いお菓子と、豊かなお茶の香りが燻る湯気が心を解す穏やかな空間に身を置く事が出来る幸せに。――感謝します。

「Trick or Treat!」
「と、Trick or Treat……?」

 流石にそれを乾杯の音頭にするのは、何だか違う様な気もしたけれど。


 ● ● ●


 ちなみに余談だが。
 魂積の悪戯は、祭の夜だけでは終わらなかったという。
 翌朝、闇牢の前には積み上げられた菓子の包みがバリケードを築き、無想に毎日薬を届けていた払霧がそれに阻まれた挙句、雪崩れて来た菓子に飲まれて遭難。

「魂積ィイ……!!」

 その後、水属性特有のヒレ耳を目一杯拡げて怒れる払霧が、魂積を探し回っていたとか、いないとか。
 昼夜を問わず、軋る様に、廊下を徘徊していたとかいないとか。彼の糸目の奥の瞳を見た者は、人知れず消されて、誰かが常用している内服薬に配合されてしまうのだとか――
 蒼穹第二霊獣・払霧に関する根も葉もない噂話が広まったのも、その晩が境であるという。

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